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2023/10/03

D.Cの日 #21

 こんにちは 現在飛行機でブログ生産中の松浦です。JFK-TOKYO便と羽田-高松便に乗ってる時に生産しています。

 

9/11

この日はスミトニアン2日目です。

今日は9/10に行けなかった White Houseと宇宙航空博物館に行く予定です。

 

宇宙航空博物館を見に行った際は空軍で働いているエンジニアの方と巡りました。飛行機の仕組みを教えてくれました。GEの飛行機のモーターの仕組みを教えてもらいましたが正直難しかったです。こんな機会ぜったいないだろうにわからないままにしてしまいました。ちょっと後悔しています。




アポロがありました!

 

ふみこさんも私も気がついていませんでした。この日は911日。World Trade centerがテロ組織に襲撃された日です。その式典が行われていたせいか9/10, 9/11ともWhite house に近づけませんでした。

White Houseのまわり一周を歩いてやっと写真が撮れました。

 

White Houseに行く途中に目の前を白い生き物が走っていきました。何が走っていたのかわかりませんでしたが、近づいて見てみるとアルビノのリスでした。赤い目に真っ白な体。



 

そしてこの日の夕方からはグリニスさんのおうちに滞在します。彼女は料理がすごく得意な人で毎食がすごく楽しかったです。


そして彼女は全ての物事に気が行く人です。

運転中にふみこさんの携帯に I’m at super market. What Mika eats? What does she eat?と電話がかかってきました。そして、ふみこさんの車のタイヤのプレッシャーが低くなっていることにも気が付くスーパーおばあちゃんです。




ボルティモという港町を夜案内してもらいました。軍の施設がかなり遠くからですが見れました。

 

9/12

この日はNational Aquariumに行ってきました。

グリニスさんのPassのおかげで無料で見れました。なかったら30ドルは裕に超える値段します。

水族館は大西洋の魚の展示があり新鮮でした。



水族館から出た時に不思議な虫がいました。初めてみる虫で3人でなんだ?と話していたのですが後日、かつこさんと再会した時に中国からの外来種ですごい害を出しているということが分かりました。


水族館の後はふみこさんのnephewの家族に会いにいきました。小さい子二人と大きな犬のいるおうちです。ものすごく活気があって楽しかったです。

日本に降り立つ 留学エピローグPt.20

 無事、生きて帰ってきました。香下恵達です。

留学紀行は前回で最終回を迎えたのですが、今回は留学を終えて思ったことを綴っていきます。アナザーストーリーのようなものだと思ってください。文章多めなのはご了承願います。



まず、インスタの投稿文より引用

帰国して、思ったことがあります。

ほんまに俺はアメリカに行ってきたんか?夢やったんじゃないかなぁ、と。  

それほどまでに、空港を出発して降り立った大阪の地は、当たり前の日常を創造していました。慣れ親しんだ場所に帰ってきたからこそ、海外で生活したあの輝かしい日々を、懐かしく、そしてどこか儚く感じました。  

でも、思い出は鮮明に残っています。一瞬で過ぎていった26日間、いろんな良い経験をしました。そして、今後の自分の課題にも気づくことができました。探究活動を通して得たことだけでなく、人として、強くなった感覚がするんです。これって、留学大成功といっていいんじゃないでしょうか。  

僕にとってこの留学は、弱い自分に自信を与える、人生のターニングポイントです。挑戦を後押ししてくれた人や、留学先のたくさんの出逢いに感謝します。全てがいい感じにかみあったこのキセキを、将来への糧にすることを誓います。そして、理想を追い求め続けます!  


可能性は、無限大だ。

↑アメリカ土産、いっぱい買いました



”新しい自分を見つける” 僕が1年前に掲げた、留学の目標です。人生最大の挑戦を通して、なりたい将来像に近づくために必要な力を手に入れることが、大きな目的でした。

読み手に興味を持ってもらうために、毎回僕のプチ情報からブログを展開していたのですが、それのPt.3を見てほしい。「思い立ってからすぐに行動に移せない癖を早急にどうにかしたい」。これは、本気で思っていることです。

↑僕の寮の部屋の壁



「欠点は、行動力がないことだ」と、自分を戒めることがよくあるのですが、それを聞いて多くの人は「いや留学行ってる時点で行動力あるやろ」と言います。確かにそうです。具体的に言い換えましょう。「最終的にはやるんやけど、行動に至るまでの時間が長い」ということです。

やらなければならないタスクを後回しにしたり、今しかできないことじゃないなら今やらなくてもいい、といった思考から脱却できません。そして、挑戦することを迷い過ぎてしまう癖があります。こんな自分が嫌いで、変えたくて、留学を決心したんです。



結論を言うと、僕は僕を変えられませんでした。探究活動を最後の最後まで引き延ばしてしまったし(Pt.19参照)、思いを寄せている人に憧れることしかできなかった。もっとみんなと写真撮っとけばよかったなぁと、後悔もしてしまった。もう一回やり直したい気持ちが、ないわけではないです。

でも、僕はやり切りました。最終的に調査は完了したし、面と向かって思いを伝えることもできた。先述したこと以外に、後悔は一つもありません。だから、人として成長したことは確信しています。意味ある留学になったことは間違いないと思うんです。




Pt.17で、パーティーに参加した際、Mikeさんともう一人、ボーイングで働くMarkさんという方にお話を聞きました。どうやったらすぐに行動できるんですかね?と尋ねると、

No one is perfect. 成長したいと望むなら、ミスはしないといけない。君は失敗することを恐れるかもしれないが、もしやらかしても、落ち込む必要はないんだ。新しいことをやってみたら、新しいアイデアが浮かぶ。自分を信じて、ただ進むだけだよ。」

というありがたいお言葉をいただきました。ちなみに、録音したボイスメモを聞いて訳したものです。

僕はこのアドバイスを聞いて、ハッとしました。完璧じゃなくてもいい。挑戦することに意義がある。成功の対義語は、失敗じゃなくてチャレンジしないこと。すぐに自分を変えないといけないなんてことはなくて、少しずつ前へ進んでいければ、それでいいんだ、と。





藤原さんのお母様からも、いいお話を聞くことができました。
僕がパーティーをおいとまするかどうか渋っていた時、「アメリカでは、自分から行動しないと何も始まらないよ。日本みたいに手を差し伸べてくれる人はいない。自己表現をすることが、何より大切。迷っている時間はもったいない。さぁ、帰りたいって言ってきな。」と背中を押してくれたのです。


これらの言葉は、今でも僕に勇気を与えてくれます。先人の言葉の重みはすごくて、深い。感銘を受けた僕は、座右の銘として心の中にしまっておくことにしました。



夏が終わって学校が始まり、またいつもの日々がやってきます。行って終わりにはしません。留学は目的でなく、成長するための手段。むしろこっからが、大事だと思っています。選んだ道を正解にできるよう、精進するんや。


編集後記
今回が最後の記事になります。僕はこのブログを日記だと思っているので、僕の留学の全てはここ詰まっているといっても過言ではありません。変な言い回し等たくさんあったと思いますが、これが僕にしか書けない文章、最高傑作です。9/8にカメラを回したので、その動画も楽しみにしていただけると嬉しいな。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。









晄へ向かう鳥のように声を響かせながら、雅な人生を彩っていきます。
留学に行って、本当に良かった。

2023/10/02

自分革命 留学紀行Pt.19

 何回も失敗して、その度に強くなる。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/19(火)、アメリカの地を離れる時がきました。


前日同様、ホテル管轄の送迎バスを利用して、空港まで向かいます。ドライバーのおっちゃんが、別れる時に、🤲←手をこのようにして、チップをせがんできました。なんとこれは、最終日にして初めての経験。財布に20ドル札がありましたが、絶対あげたくなかったので、しぶしぶ英世を渡しました。日本円でも大丈夫みたいです。どこで使うんでしょうね。


ターミナルに入り、チャックインカウンターのお姉さんとした会話が、この留学で一番流暢に英語を話せた瞬間だと思っています。飛行機が遅れていることも理解できたし、それを受けて質問を投げかけることができました。Have a nice day を会話の最後に添えて、保安検査も華麗に通過。今後引っかかることは二度とないでしょう。

遅延のせいで、4時間以上待ちです。でも僕にはしないといけないことがありました。



Pt.1を読み返してみてください。”アメリカにおける航空機の実態調査”、探究活動がまだ残っています。なぜにこんなときまで溜めていたのか。その原因は、「あとでやればいいや精神」です。心の中に潜む最大の敵が、僕の行動力を最後の最後まで妨げました。

内容としては、待ちゆくアメリカ人の方々に声をかけて、航空機に関する質問に答えてもらうといった感じです。事前にGoogle Formsを作成していて、あとは回答を集めるだけっていう状態のまま、放置していました。

↑質問は5個あります


その前の日、シアトル空港で実行するつもりだったのに、できなかったんです。ただ、話しかけるのがこわくて、行動に移せないもどかしさをずっと感じていました。そして、「チャンスはまだあるから明日でいいや」という、良くない結論を出してしまったのです。


一夜明けて、アメリカ最終日。自分が乗る飛行機のゲートの前まで来て、考えました。あんなに英語を喋る自信がついたのに、頭ではわかっていても、体がなかなか動かない。でも、この機会を逃したら、絶対に日本に帰って後悔する。今しか挑戦する時間はないんだ。この弱い自分を変えるために、俺は留学したんじゃないのか!



こんな感じの葛藤を2時間ぐらい続けて、とうとう決意を固めました。ターゲットは、飛行機を待っている休憩中の"優しそう"な人たちです。


Excuse me , Do you have time? I'm Japanese technical college student. I study abroad in order to learn about aircraft. As an exploration activities , could you cooperate with this survey?


大体の人は、快く引き受けてくれました。  答えてもらっている間に渡航先の話をしたり、留学中の思い出を話したり...。話しかけるという関門を乗り越えれば、あとはいくらでもしゃべれるんですけどね。もちろん断られることもありました。でも、いちいちめげない。切り替えて、また新たな挑戦をする。この瞬間、自分の殻を破った感覚がしました。


搭乗時刻ギリギリまで調査して、いよいよ出発。飛行機の席に座り、達成感に浸りました。これにて、留学のミッションは完遂されたわけです。胸を張って、日本に帰ることができます。




最後に見たアメリカの景色は、ただひたすらに、美しい眺めでした。


https://www.youtube.com/watch?v=WC9kSppYFww

2023/10/01

エイミーとうどんの日 #20

 こんにちは 今空港でまっている松浦です。9月8日から3日間の内容を飛行機の中で書いてます。

JFK-羽田は14hあるのでいっぱいかけます。ちなみにこの日洪水が起きていていろいろひやひやでした。乗り換えの羽田-高松の飛行機に乗れないことが確信になりどうなるのかなぁと思いながら書いてます笑


9/8

今日はものすごくゆっくりと起きました。花粉症のせいで耳が痛くなった日でした。薬を持ってきていたことを心から喜びました。

D.Cのお隣の州、バージニア州に移動しました。滞在させてもらうお家のちかくにあるchinese restaurantにて夜ご飯を食べました。

中国料理だけでなく、タイやベトナムの料理もあるお店で何を頼めばいいのかわかりませんでした。なので仕方なくフォーを食べようと思って Egg Foo Young という料理を頼みました。

ついてきたソースかスープはカレーのような匂いがするわりにほんのりすっぱい不思議な味でした。

アメリカのレストランのメニューには写真がほとんどありません。英語の料理名なんて知らない私にとってはかなり大変な文化の違いです。

そしてっ 夜にふみこさんがエイミーというD.Cで働いている人をこのお家に呼んでいました。エイミーは中国出身でアメリカで働いている人です。

いろいろと悩みがあるらしかったので日本からもってきていた和菓子やクッキーを一緒に食べました。


黒蜜は中国にもあるみたいで好きそうでした。あんこも好きそうでよかったです。

エイミーと次の日に美味しい朝ごはんを食べにいくことになりました。

彼女は Let's go to early breakfast! 9 O'clock!といってました。

9/9

1時にそのお店でブランチ?を食べました。おいしかったです。今日はゆっくりな日でした。

この次の日もエイミーと会えることになりました。

9/10

今日は吉田さんのお宅に行きました。吉田さんは日系3世の方で、奥さんがまさかのこけしオタクです。ふみこさんからある程度事前に聞いていましたが想像以上でした。

Hmartというアジアンスーパーに行きました。そこでうどんにつかうおあげとおねぎ、冷凍のえび天、魚の練り物を買いました。

トビタテのアンバサダー活動にも買いた手打ち讃岐うどんを披露します。私は香川出身なのでうどんを作ることにしていました。祖父母の家は100年以上前のうどんを打つ棒や板があるのでそこで練習しました。

香川ではお盆の時期にしっぽくうどんという野菜やお肉の入ったおいしい「年越しうどん」を食べます。私の祖父母の家でも毎年作っています。年によってうどんの味が違います笑

〜讃岐うどんの作り方〜

1.中力粉400gとお塩24gを用意 水は120くらい 適当でOK (季節によって分量は変化

 強い袋を準備 大きいほうが良い

2.中力粉とお塩を大きいボウルにいれしっかり混ぜる

3.そこに少しずつ水を加えていく 大きな塊になったらOK

4.その塊を袋の中に入れる そして平になるようにふむ!

 平にならなかったら丸めてまた1から踏んでいく

5.踏み終わったら夏は常温で3h以上寝かす ベストは一晩

6.長い棒で長方形に色げていく 巻きつけるように広げるのがコツ

7.生地を軸座具におっていく その生地同士の間に粉を振る←くっつき防止

8.切っていく 包丁はなんでもいける

9.大きい鍋にできるだけ多くの水をいれ沸騰させる 水が多ければ多いほど良い

10.13分間ゆでる 沸騰したお湯がこぼれないように調整しながら

11.冷水で冷やす

12.もう一度あっためて温かいうどんにするか

 冷やしたままぶっかけうどんにしてもおいしい←みょうがが良いアクセントになる

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ということで午前に吉田さんの家で寝かすまでをつくりD.Cから帰ってきてから生地を広げて茹でる予定です。

D.CではCongressやJapanese  American Memorial、National Natural History Museumに行きました。

D.Cのスミトニアンの博物館・美術館は素晴らしいことにすべて無料です。無料でいいの?!となるほどの良い施設が大量に集まっている場所です。

Japanese American Memorialってなにかな と思いながら歩いてましたが太平洋戦争の時に日本人が収容所に収容されたことについてのものでした。中心には日本の象徴の鶴が有刺鉄線に括り付けられている痛々しい像がありました。その周りを取り囲むように収容された人の人数がずらりとならべられていました。



National natural History Museumはびっくりするほど大きいです。モアイ像や私の身長よりも大きい鉱石がエントランスにありそこからもうびっくりです。





読みたいことがたくさん書いているのに英語力の不足のせいで全然読めないのがすごく悔しかったです。日本でかなり勉強したのに ってこの日痛感しました。

博物館や美術館などの説明が読めないのは日常会話とまったくちがうからだとわかっています。しかしかなり悔しかったので次の英語圏いく時に読めるように英語頑張ろうと思えました。

よしださんのお宅へ戻る途中にエイミーを駅で拾いました。

うどんを切ってゆがいている途中、ふみこさんは日本のカレーとお揚げや練り物の調理をしてくれていました。

夜ご飯はよしださんご夫婦、息子さんたち、エイミーふみこさんと食べました。

うどんはちゃんと美味しくできました。太さがまちまちだったりじぐざぐなのは気にしない!

横にエイミーが座っていたのですがうどんを食べる時になにかをふりかけていて見ていると、

うどんの表面が真っ赤になっていました。大量の赤かったり黄色かったりするものをかけていてみんなでびっくりしていました。

ふみこさんご夫婦がエイミーの料理を食べた時ご夫婦はエイミーの料理はもうたべないと決めるほど辛いものが好きみたいです。私は見てるだけで鼻が辛くなりました。

ちなみにふみこさんのカレーでも同じことをしていました。

食後はよしださんのこけしをまた見ました。絶対、千体はゆうに超えている量です。どこを見てもこけしがあるおうちです。新たな形のこけしもあり面白かったです。






実はねこちゃんが3匹いました。これには私とエイミー大喜び!ふたりで一番大きく重いふわふわの子を抱えました。

                                             2人、ラグドールの画像のようです

2023/09/30

終わりを告げる夜 留学紀行Pt.18

 はいどうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/18(月)、シアトルから経由地のサンフランシスコまで向かいました。


これ以降イベントはありません。あとは無事に日本に帰ることだけがミッションです。

飛行機に乗り遅れるなんて失態はありえないので、完璧な起床を遂行。ホテルから空港までの送迎バスが出ているそうなので、外に出て、あたりを見渡してみると目の前にありました。乗っていいのか迷っていると、「ノッテイイヨ!」という声が、、、⁉


声の主は、絶対に日本人じゃないのに日本語を喋るおじさんでした。インド人のドライバーの方で、日本に3年ほど住んでいたらしい。これまたすごい出逢いです。

流暢ではなくとも聞き取れなくはない、しっかりとした日本語で、会話が弾みました。どうやって勉強したんですか?と聞くと、「ズットシャベッテタラ、ウマクナッタ」とのことだったので、やっぱり言語学習はスピーキングが大事なんだなぁと実感しました。優しさとユーモアがあって、イイ人やったなぁ。運転ちょい荒かったけど。



そして空港でやらかします。スーツケースが制限重量1kgオーバーだったので、人混みの中で広げる羽目になってしまいました。重そうなものを手荷物に詰めて、なんとか預けることに成功。いやぁどうにかなってよかったと安堵して保安検査をくぐると、僕のリュックが流れてきませんでした。引っかかったのは、シャンプーとお気にの化粧水。スーツケースに入れてたのにリュックに移したせいで没収になってしまいました。ショック。


離陸して数分間、3週間過ごした大地が見えました。「さらば」と心の中で呟いて、あの充実していた日々を、ずっと懐っていました。

↑こいつは相棒なのでスーツケースには入れません


時は経って、ホテルに到着したころには既に日没。ちょっといいところを予約したこともあって、内装はまるで宮殿みたい。お腹がすいたので、近くにあったファストフード店に行ってハンバーガーを買いました。英語で注文するのも、もうコワくありません。


↑2~3階の真ん中だけ吹き抜けで、天井はガラス張りになっています
粋にもほどがある


アメリカ生活が終わってしまう。なんともいえない切ない気持ちになりました。でも、過去は振り返るものではなく背負うものです。そう自分に言い聞かせながら、彼方に見える夜空に心を奪われていました。




今回はここまで。次回、留学紀行最終回です。



SeaTac会談 留学紀行Pt.17

 コンタクトを諦めて裸眼で生活してる(勉強中は眼鏡)。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/17(日)、ボーイングのエンジニアの方にインタビューをしました。


この探究活動の背景には、強運がありました。昨年度、担任だった先生の友人のご主人が、航空機産業を先駆けるボーイング社で勤務していらっしゃったのです!

留学について計画を練っていたとき、その話を聞いて、僕にアポをとらないという選択肢はありませんでした。

↑失礼のないように、言葉遣いには細心の注意を払いました


お世話になった藤原さんという方は、国際・教育関係のお仕事をされていて、シアトル近郊に住んでおられます。今回は藤原さんのお母様が誕生日を迎えるということで、そのバースデーパーティーにお邪魔させていただきました。事前に日本でも連絡を取っていて、当日のことだけでなく、滞在するホテルやお土産についてもアドバイスをくださったことは、安心して渡米できた理由の一つです。


会場はお母様のお宅で、氷を買い出してから向かいました。朝はそこそこ寒く、あいにくの曇天でしたが、正午に近づくにつれて晴れ間が見えてきたので、やっぱ俺ツイてるなぁと実感。ちなみに帰りの飛行機で確認した大阪の天気予報は雷雨でした()。

↑これはテンション上がるでしょ


到着して最初にすることは勿論、ご主人のMikeさんへの挨拶です。Mikeさんは元ボーイングの機械系エンジニアで、開発や設計のお仕事をされていたそう。まさに、高専の機械工学科卒業生の多くが将来就くであろう職業です。これはいい話が聞けそうだ!

パーティーの準備をしながら、軽く雑談。「私たちの友人も招待しているから、先にインタビューしておいたら」と藤原さんに提案されたので、その時間を使って挑戦することにしました。


内容はスマホのメモにしっかり書いて、ご丁寧に翻訳まで添えたのに、いざ質問するとなるとそれを読むだけで、なかなか話をつなぐ言葉が出てきません。語学学校3週間で格段に英語力が上がるとは思ってなかったので、足りない部分はパッションで補いました。多少の緊張は気合いでどうにかなります。貴重な機会を無駄にしたくないっていう気持ちが強かったです。

会話の中で、専門的な用語がたくさん出てきて、100%理解することは流石に無理でしたが、おっしゃっていたことの筋はわかりました。なぜ航空機に携わろうと思ったのか、優れた技術者になるために学生の頃からしておくべきこと、どんな時にやりがいを感じるかなど、機械に向き合う人間の原動力に迫りました。


インタビューがひと段落して、テーブルの上を見ると御馳走が!ちらし寿司やいなりなど、日本を感じる食べ物もたくさんあって、あたかも帰国した気分になっちゃいそうでした。BBQと聞いていたのですが、コンロの上に召喚したのは生肉や野菜ではなく、ハンバーガーのパティやサーモン。一風変わったスタイルでしたが、そんなことはどうでもよくて、なにもかも美味過ぎました。



↑見ただけで満足できちゃう
(さすがにそれは言い過ぎた)


後から来られたご友人の皆さんもフレンドリーで、18歳日本人に興味をもって、色々話を振ってくれました。自己紹介や留学の目的を説明するのは慣れたもんです。「英語上手!高3なのに一人でよく来たねぇ、感心するわ~」と、すごい褒められたので、謙遜しつつも、内心自信に満ち溢れていました。英語を喋ることへのハードルが下がったことは、間違いなく留学を通して成長できた点だと思います。

↑タピオカみたいなやつは、ブドウみたいな食感でした


あと二人の方から深イイ話を聞くことができたのですが、記事がとんでもなく長くなりそうなので、また今度にします。

誕生日の歌を歌ってケーキを食べたり、プレゼント交換をしたりと、楽しい雰囲気が絶えることはありませんでした。藤原さんのお母様の他にも誕生日が近い方が何人かいらして、皆さんとてもうれしそうな様子でした。大人になっても家族や友と誕生日を祝える関係って素敵ですね。


たくさんお土産をもらいました。遠慮せんでええよと言われたので、もう一回食べたいものを片っ端からいただいて、その日の夕ご飯にしたということです。おかげで食費が浮きました。ありがたい限りです。


藤原お母様宅を出発して、次なる目的地はターゲット、混沌としてないドンキみたいなお店です。ここでお土産を買いました。主にお菓子です。見たことないやつばっかりだったので、アメリカで買ったものは、ほぼ全部お土産になります。結構悩んで、厳選したのですが、帰国後初の部活でそれを渡すころにはチョコがしっかり溶けてました。考えたらわかるのに、何故に気づかないのか。

↑写真ではわかりづらいですが、このカートすこぶるデカいです
ちっちゃい家の湯船ぐらいかな


今回はここまで!素晴らしいご縁のおかげで、最高の時間を過ごすことができました。紹介してくださった先生と藤原さんには、感謝申し上げます。

2023/09/29

新たな旅路 留学紀行Pt.16

 人の幸せを願える人でありたい。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/16(土)、3週間お世話になった、EFシアトル校を後にしました。


雲一つない晴天の朝、最高の目覚め。

同じ日に卒業した友を見送り一息、これまでのEFでの思い出が蘇り、もっとここにいたいという思いが、新しい未来の自分への期待に変わったことを覚えています。

前夜に全く帰る準備をしていなかったので、シャワーを浴びて、急いで支度しました。この時点でお土産はそんなに多く買っていなかったので、割とスムーズにパッキングは進みました。すると、RA(寮の管理人)のお兄さんが部屋に来ました。

↑立つ鳥跡を濁さずということで、しっかり掃除して綺麗にしました!


彼が手に持っていたのは修了証。寮のカギとミールカードを渡すのと同時に、それを受け取りました。もちろんすべて英語で表記されていて、まるで海外の大学を卒業したかのようでした。出席率100%の文字がしっかりと刻んであって、サボらず真面目にやりきったなぁという達成感が、今も自信になっています。



正午ごろ、寮にいた人たちに最後のお別れの言葉を伝えて、バスに乗り込みました。普通は空港行のタクシーを手配するのですが、この後に予定があったことも相まって、交通費をケチったというわけです。海外に行っても節約は大事!

↑またどこかであったらサッカーしよう


まず向かったのは、Day&Night Grocery。2週間前、ここのコンビニ店員さんのおかげで、野宿回避することができたんです(Pt.7参照)。Ulysseと改めてお礼を言いに行くつもりだったのですが、彼は母国に帰ってしまったので、オリンピアを旅立つこのタイミングで訪れることにしました。しかしながら、そのときお世話になった方は夜勤だったので、直接感謝の気持ちを伝えることはできませんでした。そんなこともあろうかと、手紙を書いてきていたので、それを渡してから出発しました。




この日の最終目的地は空港の近くにあるホテル。所要時間は4時間です(しんど)。


2泊する部屋は、そこそこ綺麗。ホッとしました。移動疲れで危うく寝落ちしてしまいそうでしたが、なんとか踏ん張って、街を探検しに行きました。

しかし、ここで道に迷います。というか、バスを乗り間違いました。それまで友達にルート案内は委ねていたので、この時の味方は、手元のGoogle Map先輩しかいませんでした。気づいたら目的地からどんどん離れていて、焦ってStop Requestの紐を引っ張ったことは不覚でしたね。


たどり着いたのはROUND1サウスセンター店。日本の大手エンターテイメント企業であるラウンドワンが世界展開していることを知って、とても行ってみたかった場所です。ショッピングモールの一角にあって、そこまで大きな施設ではありませんでしたが、たくさんの人がボウリング、カラオケ、アミューズメントを楽しんでいました。僕のお家芸である太鼓の達人もあって、遊び方がわからないと嘆いていた人に教えてあげました。全体的に日本の雰囲気が根付いていて、それがアメリカで受け入れられているということに、嬉しさを感じました。

↑反応すごい悪かった


今回はここまで!次の日には留学最後のイベントが控えています。


D.Cの日 #21

  こんにちは 現在飛行機でブログ生産中の松浦です。 JFK-TOKYO 便と羽田 - 高松便に乗ってる時に生産しています。   9/11 この日はスミトニアン2日目です。 今日は 9/10 に行けなかった  White House と宇宙航空博物館に行く予定です。   宇宙航空...