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2023/09/30

終わりを告げる夜 留学紀行Pt.18

 はいどうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/18(月)、シアトルから経由地のサンフランシスコまで向かいました。


これ以降イベントはありません。あとは無事に日本に帰ることだけがミッションです。

飛行機に乗り遅れるなんて失態はありえないので、完璧な起床を遂行。ホテルから空港までの送迎バスが出ているそうなので、外に出て、あたりを見渡してみると目の前にありました。乗っていいのか迷っていると、「ノッテイイヨ!」という声が、、、⁉


声の主は、絶対に日本人じゃないのに日本語を喋るおじさんでした。インド人のドライバーの方で、日本に3年ほど住んでいたらしい。これまたすごい出逢いです。

流暢ではなくとも聞き取れなくはない、しっかりとした日本語で、会話が弾みました。どうやって勉強したんですか?と聞くと、「ズットシャベッテタラ、ウマクナッタ」とのことだったので、やっぱり言語学習はスピーキングが大事なんだなぁと実感しました。優しさとユーモアがあって、イイ人やったなぁ。運転ちょい荒かったけど。



そして空港でやらかします。スーツケースが制限重量1kgオーバーだったので、人混みの中で広げる羽目になってしまいました。重そうなものを手荷物に詰めて、なんとか預けることに成功。いやぁどうにかなってよかったと安堵して保安検査をくぐると、僕のリュックが流れてきませんでした。引っかかったのは、シャンプーとお気にの化粧水。スーツケースに入れてたのにリュックに移したせいで没収になってしまいました。ショック。


離陸して数分間、3週間過ごした大地が見えました。「さらば」と心の中で呟いて、あの充実していた日々を、ずっと懐っていました。

↑こいつは相棒なのでスーツケースには入れません


時は経って、ホテルに到着したころには既に日没。ちょっといいところを予約したこともあって、内装はまるで宮殿みたい。お腹がすいたので、近くにあったファストフード店に行ってハンバーガーを買いました。英語で注文するのも、もうコワくありません。


↑2~3階の真ん中だけ吹き抜けで、天井はガラス張りになっています
粋にもほどがある


アメリカ生活が終わってしまう。なんともいえない切ない気持ちになりました。でも、過去は振り返るものではなく背負うものです。そう自分に言い聞かせながら、彼方に見える夜空に心を奪われていました。




今回はここまで。次回、留学紀行最終回です。



SeaTac会談 留学紀行Pt.17

 コンタクトを諦めて裸眼で生活してる(勉強中は眼鏡)。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/17(日)、ボーイングのエンジニアの方にインタビューをしました。


この探究活動の背景には、強運がありました。昨年度、担任だった先生の友人のご主人が、航空機産業を先駆けるボーイング社で勤務していらっしゃったのです!

留学について計画を練っていたとき、その話を聞いて、僕にアポをとらないという選択肢はありませんでした。

↑失礼のないように、言葉遣いには細心の注意を払いました


お世話になった藤原さんという方は、国際・教育関係のお仕事をされていて、シアトル近郊に住んでおられます。今回は藤原さんのお母様が誕生日を迎えるということで、そのバースデーパーティーにお邪魔させていただきました。事前に日本でも連絡を取っていて、当日のことだけでなく、滞在するホテルやお土産についてもアドバイスをくださったことは、安心して渡米できた理由の一つです。


会場はお母様のお宅で、氷を買い出してから向かいました。朝はそこそこ寒く、あいにくの曇天でしたが、正午に近づくにつれて晴れ間が見えてきたので、やっぱ俺ツイてるなぁと実感。ちなみに帰りの飛行機で確認した大阪の天気予報は雷雨でした()。

↑これはテンション上がるでしょ


到着して最初にすることは勿論、ご主人のMikeさんへの挨拶です。Mikeさんは元ボーイングの機械系エンジニアで、開発や設計のお仕事をされていたそう。まさに、高専の機械工学科卒業生の多くが将来就くであろう職業です。これはいい話が聞けそうだ!

パーティーの準備をしながら、軽く雑談。「私たちの友人も招待しているから、先にインタビューしておいたら」と藤原さんに提案されたので、その時間を使って挑戦することにしました。


内容はスマホのメモにしっかり書いて、ご丁寧に翻訳まで添えたのに、いざ質問するとなるとそれを読むだけで、なかなか話をつなぐ言葉が出てきません。語学学校3週間で格段に英語力が上がるとは思ってなかったので、足りない部分はパッションで補いました。多少の緊張は気合いでどうにかなります。貴重な機会を無駄にしたくないっていう気持ちが強かったです。

会話の中で、専門的な用語がたくさん出てきて、100%理解することは流石に無理でしたが、おっしゃっていたことの筋はわかりました。なぜ航空機に携わろうと思ったのか、優れた技術者になるために学生の頃からしておくべきこと、どんな時にやりがいを感じるかなど、機械に向き合う人間の原動力に迫りました。


インタビューがひと段落して、テーブルの上を見ると御馳走が!ちらし寿司やいなりなど、日本を感じる食べ物もたくさんあって、あたかも帰国した気分になっちゃいそうでした。BBQと聞いていたのですが、コンロの上に召喚したのは生肉や野菜ではなく、ハンバーガーのパティやサーモン。一風変わったスタイルでしたが、そんなことはどうでもよくて、なにもかも美味過ぎました。



↑見ただけで満足できちゃう
(さすがにそれは言い過ぎた)


後から来られたご友人の皆さんもフレンドリーで、18歳日本人に興味をもって、色々話を振ってくれました。自己紹介や留学の目的を説明するのは慣れたもんです。「英語上手!高3なのに一人でよく来たねぇ、感心するわ~」と、すごい褒められたので、謙遜しつつも、内心自信に満ち溢れていました。英語を喋ることへのハードルが下がったことは、間違いなく留学を通して成長できた点だと思います。

↑タピオカみたいなやつは、ブドウみたいな食感でした


あと二人の方から深イイ話を聞くことができたのですが、記事がとんでもなく長くなりそうなので、また今度にします。

誕生日の歌を歌ってケーキを食べたり、プレゼント交換をしたりと、楽しい雰囲気が絶えることはありませんでした。藤原さんのお母様の他にも誕生日が近い方が何人かいらして、皆さんとてもうれしそうな様子でした。大人になっても家族や友と誕生日を祝える関係って素敵ですね。


たくさんお土産をもらいました。遠慮せんでええよと言われたので、もう一回食べたいものを片っ端からいただいて、その日の夕ご飯にしたということです。おかげで食費が浮きました。ありがたい限りです。


藤原お母様宅を出発して、次なる目的地はターゲット、混沌としてないドンキみたいなお店です。ここでお土産を買いました。主にお菓子です。見たことないやつばっかりだったので、アメリカで買ったものは、ほぼ全部お土産になります。結構悩んで、厳選したのですが、帰国後初の部活でそれを渡すころにはチョコがしっかり溶けてました。考えたらわかるのに、何故に気づかないのか。

↑写真ではわかりづらいですが、このカートすこぶるデカいです
ちっちゃい家の湯船ぐらいかな


今回はここまで!素晴らしいご縁のおかげで、最高の時間を過ごすことができました。紹介してくださった先生と藤原さんには、感謝申し上げます。

2023/09/29

新たな旅路 留学紀行Pt.16

 人の幸せを願える人でありたい。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/16(土)、3週間お世話になった、EFシアトル校を後にしました。


雲一つない晴天の朝、最高の目覚め。

同じ日に卒業した友を見送り一息、これまでのEFでの思い出が蘇り、もっとここにいたいという思いが、新しい未来の自分への期待に変わったことを覚えています。

前夜に全く帰る準備をしていなかったので、シャワーを浴びて、急いで支度しました。この時点でお土産はそんなに多く買っていなかったので、割とスムーズにパッキングは進みました。すると、RA(寮の管理人)のお兄さんが部屋に来ました。

↑立つ鳥跡を濁さずということで、しっかり掃除して綺麗にしました!


彼が手に持っていたのは修了証。寮のカギとミールカードを渡すのと同時に、それを受け取りました。もちろんすべて英語で表記されていて、まるで海外の大学を卒業したかのようでした。出席率100%の文字がしっかりと刻んであって、サボらず真面目にやりきったなぁという達成感が、今も自信になっています。



正午ごろ、寮にいた人たちに最後のお別れの言葉を伝えて、バスに乗り込みました。普通は空港行のタクシーを手配するのですが、この後に予定があったことも相まって、交通費をケチったというわけです。海外に行っても節約は大事!

↑またどこかであったらサッカーしよう


まず向かったのは、Day&Night Grocery。2週間前、ここのコンビニ店員さんのおかげで、野宿回避することができたんです(Pt.7参照)。Ulysseと改めてお礼を言いに行くつもりだったのですが、彼は母国に帰ってしまったので、オリンピアを旅立つこのタイミングで訪れることにしました。しかしながら、そのときお世話になった方は夜勤だったので、直接感謝の気持ちを伝えることはできませんでした。そんなこともあろうかと、手紙を書いてきていたので、それを渡してから出発しました。




この日の最終目的地は空港の近くにあるホテル。所要時間は4時間です(しんど)。


2泊する部屋は、そこそこ綺麗。ホッとしました。移動疲れで危うく寝落ちしてしまいそうでしたが、なんとか踏ん張って、街を探検しに行きました。

しかし、ここで道に迷います。というか、バスを乗り間違いました。それまで友達にルート案内は委ねていたので、この時の味方は、手元のGoogle Map先輩しかいませんでした。気づいたら目的地からどんどん離れていて、焦ってStop Requestの紐を引っ張ったことは不覚でしたね。


たどり着いたのはROUND1サウスセンター店。日本の大手エンターテイメント企業であるラウンドワンが世界展開していることを知って、とても行ってみたかった場所です。ショッピングモールの一角にあって、そこまで大きな施設ではありませんでしたが、たくさんの人がボウリング、カラオケ、アミューズメントを楽しんでいました。僕のお家芸である太鼓の達人もあって、遊び方がわからないと嘆いていた人に教えてあげました。全体的に日本の雰囲気が根付いていて、それがアメリカで受け入れられているということに、嬉しさを感じました。

↑反応すごい悪かった


今回はここまで!次の日には留学最後のイベントが控えています。


2023/09/28

Re : End of a Dream 留学紀行Pt.15

 潮寮から追い出されたくない(切実に)。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/15()EF Lifeの幕閉です。


昨晩あんなにはしゃいで3時間睡眠だったのに、ちゃんと目が覚めて授業も眠くありませんでした。それだけ最後に対するアドレナリンがあったんでしょう。授業内容も裁判についてで、決して簡単ではない単元でしたが、先生の話を頑張って聞き取って、やり切ることができました。声のトーンや身振り手振りに注目すれば、耳に入ってこなくても、意外と何を言ってるかわかります。別れの言葉をみんなに伝えて、教室を去りました。


午後からは、やり残したことをやるお時間です。キャンパス内の景色がいいスポットでダンス動画を撮影しました。9年前にダンスを習っていた過去があるのですが、今でも楽しくなっちゃうとたまに踊りたくなることがあります。アメリカに来た証を華やかにするために、せっかくなら動画に残しておこうと思ったんです。一人でやるメンタルは僕に備わっていなかったので、友達に付き添ってもらいました。誰得ですが、いつか投稿するかもしれないです。共感性羞恥を皆さんが感じるかどうかは、僕のダンスの力量に懸かっていますね。

↑このポーズに特に意味はないです


その後、パーティーの材料を買いに行きました。最初に訪れた日本の食材がいろいろ置いてあるお店には、思っていた以上に親しみのある商品がたくさん並んでいて、驚きました。チョコパイをはじめとしたお菓子、とんこつや辛ラーメン、味ぽんなど、永住することになっても困らなそうなぐらい、品揃え充実です。寿司を買ったり、友達の忘れ物を郵送するタスクを終わらせて、帰路につきました。


↑もう日本のスーパーやん



夜は餃子パーティー。具材を皮で包む過程もみんなで挑戦して、余ったものはチャーハンにしておいしくいただきました。欧米の留学生にとって、中国発祥である餃子はあまりなじみのある料理ではなかったそうでしたが、とても興味を持ってくれました。日本文化を広めるいい機会になったので良かったのです。

↑調子に乗ってぶちまけました


そこからは〆のカードゲーム大会をしました。睡眠不足が深刻でモンエナでなんとか意識をつなぎましたが、流石に無理があったので日付が変わるあたりで就寝。正直この時間帯の事はよく覚えていません。しかしながら、留学を終えた今、一番戻りたいと思う瞬間が、このときです。ブログには書かないことを含めた全ての感情をひっくるめて、その願いがずっと僕の心の中にあります。


ただひたすらに、楽しく儚い夜でした。


今回はここまで!この留学、アディショナルタイムがあと4日あります。まだ、終わっていません。

2023/09/27

いつのまにか 留学紀行Pt.14

 この夏留学行ってなかったら絶対車の免許取りたかった。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/14()、実質卒業式をしました。


どういうことやねんって感じですが、式とはいえないぐらいのちょっとした卒業の感覚に浸る時間があったってことです。一緒に卒業するメンバーと写真を撮って、寄せ書き的なことをして、帰国に関する話をして、感謝の気持ちを伝える。3週間一瞬過ぎて、もう終わりか!?って思いました。次の日が最後の授業日だったので、まだお別れを言うタイミングではなかったですが、この日々がもうすぐ終わってしまうことに、ほんのり寂しさを覚えました。

↑歴代卒業生の写真が飾ってあります


とにかく思い出を作りたかったので、謎の貝のマスコットを買ったり、フリスビーをしたり、おにごっこをしたり、最高の天然芝でサッカーをしたりしました。天気もよくて、神が門出を祝ってくれているかのようでした。


↑キモかわいいですね


そして、この日の夜がヤバかった。完全に、飲み会でした。しかも僕の寮の建物で。断言しておきますが、僕は一滴もお酒を飲んでません。20歳を超えた大学生の友達が、どんどん酔っていくのを見て、あぁ、これが大学の飲みサーかって思いました。高専では絶対感じられないテンションでしたね。雰囲気にのまれず、ちゃんと断りました。えらいぞ、俺。これ以上このことを書くと留学ブログの趣旨にそぐわないので止めておきます。

 

今回はここまで!僕の人生最大の挑戦も、終盤です。

かけがえのない日常 留学紀行Pt.13

 得意料理はカップラーメン。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。

9/11()13()、特にこれといった出来事がなかったので、僕のアメリカ留学の日常でも紹介しようと思います。決してネタ切れしてるわけじゃないです。

 

まず、気候について。ワシントン州は丁度季節の変わり目で、朝晩は普通に寒いです(10℃台前半とか)。長袖一枚しか持ってきてなかったので、これは誤算でしたねぇ。現地で防寒具を調達しました。でも、昼はあったかいんです。暑いときは30℃近くまで気温上がります。一日で寒暖差が20℃ぐらいある日もあったので、体調壊さないか心配でした。日照時間も変な感じで、7時ぐらいにようやく明るくなって、20時ぐらいに完全に陽が落ちるって感じです。



治安について。留学前にいろんな人から脅されましたが、実際に行ってみて、コワい人は“いました”。ホームレスに金くれと絡まれましたし(Pt.3参照)、意味不明の奇声を発している人もいました。捨てられたバナナのように地面で横たわっている人もいれば、食べ物をくださいと懇願してくる人も見かけました。僕は、そういうのに対して、すごく気の毒に思ってしまう性格です。ですが、関わらないという判断が賢明であることも事実です。世の不条理というか、多様な人々が共存する世界で、こういった現実を目の当たりにすることができたのは貴重な経験だったと思います。あ、さすがに銃声は聞きませんでした。

↑さすがにホームレスの方の写真は撮れなかったので、その上空の写真をどうぞ


授業について。遊びの内容をこのブログではよく取り上げているので、留「学」してないやろ!とお叱りの言葉を受けそうですが、ちゃんと勉強してますよ。今週はディベートをしました。テーマは、「SNSの利用者は、自らのアカウント内なら、好きなことを何でも発言していいかどうか」。僕は、肯定側の立場で話しました(自分の意志とは正反対ですが)。グループで意見を出し合って、反駁できるように対策を練って相手にぶつけるといったことは去年高専の授業でもやりましたが、英語でやるとなればそう簡単にいきません。原稿丸読みでしたが、向こうの意見を利用してこちら側を正当化させる言い回しを意識して取り組むことができました。まぁうまくはいかなかったですね、またリベンジしたいです。




食事について。朝は前日の昼に確保したマフィンを食べ、昼はカフェテリアを利用し、夜は学校側が手配してくれたご飯を食べたり、自分たちでつくったり、といった感じです。基本的に、カロリー高いです。印象的だったのは、3口目で「もういいや」ってなるチーズの塊みたいなやつ、何故かパイナップルが添付されている食感を失った米、かったい肉。作っていただいた食事にあまり文句は言いたくありませんが、なかなかファンキーなバリエーションでした。最後の週に2回、大好物が並ぶビュッフェ形式の昼食があって、それはめちゃくちゃ美味しかったです。しかしながら、ここにずっといたら絶対太ると思うので、実家のご飯が食べたくなりました。




↑つい食べ過ぎちゃうんですよね


周りの人たちの雰囲気について。ありがたいことに、みんなフレンドリーで、言葉の壁は多少あってもすぐに打ち解けることができました。Pt.4に書いた通り、僕が通うEFという語学学校は世界中から学生が来ているので、アメリカだけでなく、いろんな国の文化に触れることができます。でも、「う~ん」って思うポイントもありました。酒とタバコ、結構みんなやってるんです。それぞれの国の法律はよく知りませんが、20歳以下で僕と同年代の友達も大人の所業を嗜んでいました。俺もしてみてぇとは一切思いませんでしたが、その辺のカルチャーショックを感じたことは、心に残っています。

↑ほぼ毎晩やったUNO&トランプ

 

後、細かいことでいえは、左ハンドル右車線。乗り口も右側だし、日本の感覚でバスを待っていたら、道路を挟んだ向こう側の右車線にバスが来て、乗り逃したことがありました。バスはボタンではなく黄色い紐を引っ張ってStop Requestします。キャッシュレス社会です。またなんかあったら、ここに足していきます。





今回はここまで!郷に入っては郷に従えという言葉があるように、この留学ではできるだけアメリカの日常を受け入れる努力をしました。意外と人って、異なる環境にも順応できるんですよ。

2023/09/25

探し求めていたもの 留学紀行Pt.12

 帰国したら英会話の授業で無双したい。どうも明石高専機械工学科3年、香下恵達です。この文章、帰りの飛行機の中で書いています。留学中の出来事をリアルタイムでお伝えするのがブログのコンセプトだったのですが、僕には無理でした☆。関空に着くまであと9時間あるので、留学の終わりまで機内で書ききってしまおうと思います【←やっぱり無理でした♡(9/25追記)】

9/10()、探究活動のメインともいえる、ボーイングの博物館訪問をしました。その名も、The Museum of Flight。ボーイングフィールド空港のそばにあって、博物館からは実際に飛行機が離着陸しているところも見ることができます。

 

Boeing Future of Flightという、工場の近くに別の航空博物館があって、最初はそこに行こうと思っていたのですが、寮から5時間かかるので断念しました。しかしながら、今回訪れたところも、3時間バスに揺られてやっと到着できたので、遠いことに変わりはないです。うん、しんどかった。


一人で行くのは寂しかったので、EFで同じクラスかつ日本人かつトビタテ生かつ航空機がめちゃめちゃ好きな友達、コウガと一緒に行きました。帰国するタイミングも同じで、共通の趣味もありました。こんな最高の出逢い、奇跡でしかないと思います。運がよかったといえばいいのか。とにかく、最強の存在とともに、僕の探究活動はスタートしました。

 

エントランスを突破して、最初に現れたのはスペースシャトル。この博物館には航空産業だけではなく、宇宙工学的なものも展示されています。そういえば、アメリカにはNASAがありましたね。実際に使用された火星探査機や宇宙服、ペットボトルロケット、宇宙をVR体験できるブースなどを発見しました。宇宙に詳しくなくても、異世界のような雰囲気は趣があって、万人が楽しめる場所だったと思います。

 


次に向かったのは、屋外展示場、ここの目玉となっているエリアです。もう何から見ていったらいいのかわからなくなってしまうぐらい、要素が多すぎました。戦時中、日本の空を飛びまわっていたB-29をはじめ、僕をアメリカまで連れてきてくれたユナイテッド航空の初期型もそこにありました。レプリカじゃありません、すべて昔活躍していた実機です。戦闘機はいたるところに銃口があって、鳥肌立ちました。

↑コンコルド、マッハ2(2179km/h)で飛ぶのと引き換えに安全性がよろしくなかったので、現在は実用化されていません

↑ここから弾が何発も撃たれてたってことです、こわい
↑B-29、正面からの迫力恐ろしい
↑ユナイテッド航空初期型
 


ここでちょっとマニアックな情報を一つ。↓このちっちゃい車輪、何故こんなところにあると思いますか?もちろん、離陸のときに役に立つのですが、ただの車輪ではないんです。


↑垂直尾翼の真下に位置しています


その理由は、機体が滑走路に擦らないようにするためです。大きい航空機、特に長いものだと、中盤の主車輪が地面から離れて機体が斜め上を向くことで、しっぽのところが地面に接してしまう可能性があります。離陸時のスピードの中、擦ることで生じる摩擦熱は相当エネルギーを持っているので、大炎上を引き起こしかねません。このちっちゃい車輪が、完全に飛び立つまで機体を支えていることで、安全に離陸することができるのです。勉強になりましたね。

↑TOPGUNのやつ
↑めっちゃ広い


 

ボーイング787747は特に迫力がありました。いわゆる、ジャンボ機ってやつです。機内に入ることもできて、普段は絶対見れないコックピットの写真も撮れました。こんなにでかい物体がたくさんのお客さんと物を乗せて世界中を結んでいると思うと、人間はすごいものを発明したんだなぁと実感が湧きました。確か7873号機だったかな?コウガがすんごい興奮していたので、歴史的な機体であることは間違いないです。




↑機長とCAの横で、エレガントな降機です


屋内展示場。1階は第二次世界大戦で、2階は第一次世界大戦(飛行機が発明されたころ)の展示がされていました。航空機の変遷を、実物を見て学ぶことの感動は、インターネットで調べただけではわからないでしょう。日本軍機にクローズアップした展示もあって、親近感と哀愁漂う独特の雰囲気を感じました。一方、大量の模型がキレイに飾ってある光景は、まさに圧巻、一つぐらいもらってもバレなさそうでした。

↑たくさんの飛行機を空母に乗せるために、おにぎりみたいに変形します
↑完全にふざけてるやつもありました

 

既にお腹いっぱいでしたが、最後に屋内の開放的なフロアへ。多種多様な飛行機が臨場感を醸し出していました。初めて見るものばかりで、ホンマに飛ぶんかって感じの、ヘンテコなやつもありました。操縦席に座れたのはなかなかできない経験だと思います。


↑男の子が、はよどっか行けっていう目で見てますね
↑唯一のヘリ展示


最後の最後に、管制塔の中を再現したブースに入り、生の飛行機が飛んでいく様子を観察しました。コウガは将来、管制官になりたいらしいです。パイロット、CA、エンジニア、空港職員、整備士etc... いろんな人が関わって空の旅が実現していることを忘れてはいけないですね。

最後の最後の最後に、博物館の外にある飛行機のオブジェと記念撮影。僕の愛す番号2をつけていて、運命感じました。この写真めっちゃ好きです。インスタのアイコンにしてます藁。

↑上空の飛行機雲もいい感じ


 

今回はここまで!あんまり長すぎると、みんな読んでくれないと思ったので、だいぶはしょったんですけど、それでも過去最長の投稿になってしまいました。それぐらい濃かったんです。展示のボリュームがありすぎて、4時間以上は滞在していたと思います。いい探究活動になりました。

↑ボーイングの建物も隣接していました


D.Cの日 #21

  こんにちは 現在飛行機でブログ生産中の松浦です。 JFK-TOKYO 便と羽田 - 高松便に乗ってる時に生産しています。   9/11 この日はスミトニアン2日目です。 今日は 9/10 に行けなかった  White House と宇宙航空博物館に行く予定です。   宇宙航空...